サッカー翻訳者のブログ

サッカーの翻訳を中心にしている英日の翻訳者・ライター 折原淳之介 (Junnosuke Orihara) のブログです。ここはポートフォリオの置き場所になります。お仕事の依頼を募集しています。// English to Japanese Translator. Football and Soccer fan and also love a movie and contemporary art, architecture.

香川真司の興味深いケース

どうやってマンチェスターで日本人ミッドフィルターは間違いをおかしたか?

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 2012年だった。ボルシア・ドルトムントに所属するスーパースターであり日本人ミッドフィルダー香川真司ははっきりとした意思を表明した。彼はイングランドを本拠地とするクラブに向かう為にドイツから離れたいと考えていたのだ。ドイツ国内のカップ戦であるDFBポカールの決勝戦にマンチェスター・ユナイテッドの監督であるサー・アレックス・ファーガソンが観戦に訪れていた。

 ボルシア・ドルトムントからマンチェスター・ユナイテッドへの移籍は避けられないように思えた。“ありうる”という段階ではなくて、“いつ”と言うべきだった。そのシーズンの香川は本当にすばらしく、超一流だった。ドルトムントをトップまであがらせるのに香川は必要不可欠な選手だったと言ってもいい。シーズンが終わり、17ゴールと10アシストを記録し、5対2でライバルチームであるバイエルン・ミュンヘンに勝利した際にも大きな役割を果たした。1ゴール、1アシストを記録し、どのような意味でも、そのゲームにおいて、ドルトムントの攻撃の一部になっていた。

 もし、2011年にフットボールファンに、香川が、ドルトムントから離れたとしても、2年後には戻ってくる。なぜなら、マンチェスターでは56試合に出場して、3人の異なった監督のもとでプレイをする事になり、6ゴールしか記録できないからだ、と言えば笑われてしまうだろうが、これは実際に起こった事である。

  香川にとってはマンチェスター・ユナイテッドのキャリアが汚点なのは否定できずデイヴィッド・モイーズは、日本最高の攻撃的ミッドフィルダーの能力を有効利用することが出来なかった。香川はユナイテッドのファンやそれ以外のサッカーファンから、どうして起用されないんだという理解不能の混乱の中で、ベンチをたびたび暖める事になった。すばらしい才能の持ち主であり、創造性に富んだ技術の高い選手が、である。

 毎週、彼のプレイを見ていた人たちや一緒にプレイした選手たちからの、多大な支援と保証のもと、彼はマンチェスターの地に降り立った。ドルトムントの監督であったクロップは、香川を世界で最高の選手の一人、と太鼓判を押し、チームメートであったマッツ・フンメルスは、“移籍はすばらしいこと。でも戦いたく無い相手だよ”と発言した。ユナイテッドに加入してからも新しい同僚たちが、彼を賞賛するのに、たいして時間は、かからなかった。ウェイン・ルーニーリオ・ファーディナンドや他の多くの選手がイングランドで香川は大いなる成功を収めるに違いないと考えた。ユナイテッドでのシーズン当初、オールドトラッフォードにいる熱狂的なファン達は、ロビン・ファン・ペルシーと香川がぎくしゃくして試合を進めるのを夢をみるようなまなざしで見守る事となったが、おそらく、これが香川真司にとっては最高の瞬間だった。

 間違いなく彼には才能はあった。攻撃のどの選手に対してもパスを通すことが香川には出来たし、本当に小さな隙間を縫ってアシストを供給も出来た。様々な種類のアシストをする事ができる。香川はどの選手ともやれたので、マンチェスター・ユナイテッドのようなチームなら成功するに違いないと皆が思っただろう。

 

 ただ、そうじゃなかった。毎試合、ユナイテッドで先発の座をつかむことができなかった。10月にひざのケガで欠場したが、何も変わらなかった。2012年の1月に復帰し、8ゲームで7試合に出場。香川は試合で鋭さやスタイルを取り戻しつつあるように見えたが、2月はたった64分しか出場していない。

 試合でいい結果を残しても、次の試合では先発を外される。

 ユナイテッドでの、際立ったパフォーマンスの一つが、(その時)プレミアリーグでライバルだったノリッチ戦のハットトリックだったが、週の半ばにあったチャンピオンズリーグでのレアル・マドリッド戦ではスタメンから外される。コンスタントに出場したりアピールするチャンスがなかった事は、ユナイテッドでのキャリア構築を妨げる事となった。

  さて、サー・アレックス・ファーガソンは、香川と契約をした。スコットランド人が決断した香川の移籍に関しては複雑な反応があった。読者の皆さんもご存知かと思うが、1200万ポンドで若いポルトガル人のクリスティアーノ・ロナウドと契約した時のような素晴らしい移籍になるという人もいれば、まったく、その時とは違う上手くいかない契約になるという人もいた。

 ファーガソンは、もう一人別の若いポルトガル人選手とも契約をしている。ベベという選手で700万ポンドでの契約だった。私たちは彼がどうなったかを知っている。

 最近(この記事を書いている時)、ファーガソンが明らかにしたが、彼とユナイテッドのチームが香川のキャリアを駄目にしてしまったと考えているようだ。要するに悪い契約では無かったがクラブの管理が至らなかったという意味である。

 香川は、狭いエリアや近い距離でも、ボールをコントロールする事が出来て、スペースを見つけて走っている攻撃の選手にパスを通すことも出来る。更に、すごいのは、香川はユナイテッドの名前にも臆する事がなかった。ウェイン・ルーニーや、契約したばかりのロビン・ファン・ペルシとも自由にプレイする事が出来た。この3人の選手を前線で連携させる戦術は最強の戦略になりうるように思える。ヨーロッパ最高のディフェンス陣の間でも突破できるし、ルーニーを最高の状態でプレイさせることも出来る。この計画は、実らないで頓挫してしまった。

  香川真司は最悪のキャリアをユナイテッドで過ごし、マンチェスターを後にした。中立的なファンや大多数の人は、彼がかつてしていたようなプレイができなかったことに失望しているだろう。ボルシア・ドルトムントに戻った香川は多くのファンから歓迎されている。ドルトムントのファンたちは、最悪のマンチェスター・ユナイテッドから香川を返してほしいと願い、フリー真司キャンペ—ンを立ち上げた。オールド・トラッフォードのベンチに座り続けている香川を悪夢から解放してほしいというキャンペーンである。

 

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The Curious Case of Shinji Kagawa | The News Hub